たいへいのブログ

記録を付ける、意見を世の中に発信することが大事だなと思い始めたので。

①『未来に先回りする思考法』

1冊目

『未来に先回りする思考法』を読みました。

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【感想】

お正月にイケダハヤトさんのブログを読んでいて見つけた本。

「必要性」:未来に何が必要になるか、何が必要とされるか。が大事なんですね。

それを他人より先に見つけるためには、常に「点」を意識する必要はあるし、その「点」の深堀をする必要がある。それが「原理」を知るなんでしょうか。

いまのぼくには少し難しい本だったな。

 

【ハイライト】

 

 ①

テクノロジーは「人間を拡張するものであること」。そして、「いずれ人間を教育しはじめること」。最後に「掌からはじまり、宇宙へと広がっていくこと」です

 →人間を拡張し、その手から離れて、最終的にそれ自体となる。その通りなんやろーな。人間が支配下に置かれる(テクノロジーなしでは生きていけなくなる)ようになるんでしょうね。

 

地球も、最初は何もない星でした。しかし、今では数億レベルの植物や動物にあふれていて、その数は今も増え、無秩序な方向へと進み続けています。人間の拡張であるテクノロジーも、身体の近くで機能するシンプルなものから、時間の経過とともに、複雑化し、部屋を飛び出し、多方向へ侵食を繰り返していく性質があります

 →ふむふむ。小麦の栽培や家畜の養殖はそちらの植物生物の個体が爆発的に増えたという意味で、生存競争には勝っていますよね。テクノロジーは人間の数を増やすのかな。

 

ここから確実に到来が予想されるのが、あらゆる物体に「知性」が宿る世界です。これは、モノのインターネット化のさらにもう一段階先の話です

 →八百万の神様みたいや。

 

何千万人におよぶユーザーを「まったく同じ条件下でどんな反応をみせるか」という観点で分析してみると、使用している言語や属している文化がまったく異なるにも関わらず、ヘビーユーザーや離脱するユーザーのパターンはほとんど同じだったりします。また、一見属性がまったく異なる人々も、様々な行動を分析していけば、かなり限られたパターンに分類することが可能になることがわかっています。 人間の目で見るとなんの共通点もない事象も、データという形で分析してみると驚くほどシンプルな法則性に基づいています。人間は、思っている以上にパターンの塊なのです

 →これは本当に不思議だ。人間の想像力に限界があるのかな。いくつかのパターンに収束していくのか。

 

人間が、目の前で起きている現状だけを見て近視眼的に新しいものを否定することも、繰り返し観察されるパターンです

→これは常に気を付けるようにしたいです。

 

イデア自体は、将来における「点」なのです。そのときは突拍子もないように思えても、時間の経過とともに、技術面や価格面でのブレイクスルーによってピースが埋まっていき、いつかどこかで進化の「線」に取り込まれます

 →たまに全然別のところで聞いた話がつながることがありますよね。普段は線を意識しつつも、点の収集ですね。点を収集しつつ、ある場面で点と点の距離を埋めていくのではなくて、点と点の間を自分の思考で埋める感じかな。「事実+思考+事実」。

 

すなわちどんな必要性があったのかということについて語られることは多くありません

 →「必要性」。この本のキーワード。

 

SNSは今まで定量化できなかった「他者からの注目」という価値を数字に換算することを可能にしました

 →はぇーって思った。確かにインフルエンサーとかいらっしゃいますもんね。

 

今後はテクノロジーが、労働など今まで人間にとっての存在理由だったものを奪っていき、止まらないイノベーションにより自分の存在価値が否定されていくような不安を抱く人が増えてくることでしょう

 →ほんまに興味ない、面白くない労働(仕事)だけを生きがいにしてたらダメなんでしょうね。僕は将来古代のギリシアやローマみたくなるだろう説を信じています。

 

ベーシック・インカムを「衣住食など最低限生活に必要なものを保障するすべてのシステム

→早く実現してほしいよね。生活保護じゃなくて。

 

進化は「必要性」によって生み出されるとすれば、最も強い「必要性」は生存欲求です。生死がかかっている戦争では、最も強い「必要性」が発生し、結果的に技術は飛躍的に進

マズローの欲求を思い出した。生存→・・・→自己実現。それを満たすようなビジネスを考えないと(-_-;)

 

心理学者のバリー・シュワルツは、情報量と幸福度は反比例すると主張しました。人はより多くの情報にアクセスできるようになるほど、他人と比較して、選べなかった選択肢のことを思い、後悔してしまうようにできているのだと

 →ほんとに。何も知らないほうが幸せなんちゃうかなと思うことがある。まったく外とのつながりのない島に生まれ、外に触れず生きる、みたいな。

 

常に原理から考える思考法を身につけていることです。原理から考えるためには、そのシステムがそもそもどんな「必要性」を満たすために生まれたかを、その歴史をふまえて考える必要があります

 →「原理」。これは意識したい。「必要性」とは何かしらの「不足」や「欲求」ありきなので、それを満たすもの。

 

それでもなぜ足を一歩踏み出せたかというと、自分の認識を信用していなかったからです。今の自分の狭い視野によってつくられた認識のほうが「間違っている」と考えていましたし、今だってそう考えています

 →パターンを信じていらっしゃった。「直観」は信じたいけど、悩んだらパターンに従うのが良いかもね。

 

本当に一番になりたいのなら、自分自身がルールをつくり、誰もいないフィールドに飛びこんでくださ

 →ルールつくる人、ゲームチェンジャーやな。

 

終わり。。